大阪硝子産業史

塩谷硝子株式会社 訪問報告書

    -取材を終えて-

    -インタビュー内容-

    ■組合について
    昭和23年に大阪アンプル協同組合が梅ヶ枝町にあった。現在は、塩谷硝子(株)内にあり、10社(内、4社は大阪硝子工業会の会員)が加盟している。 組合の目的は、アンプル業者同士の過剰な競争を避けるため、適正な話し合いの場を設けることであった。昭和48年に、GMP(医薬品の製造および品質管理に関する実績規範)が制定された。 これにより、容器への要求が上がったが、対応する力のない会社は撤退していった。

    ■ガラスアンプルの変遷
    「注射」の需要を激減させる様々な歴史があった。 アンプルの割れ目を予め傷をつけて折れやすくするワンポイントができる前の頃、九大の青山教授がアンプルを割るとガラス片が薬液に入ると発表したことがあった。 これによりアンプル業界は大きなダメージを受けた。また、注射を同じところに打つと筋肉細胞に影響を与えるという話も注射を減らす原因となった。 さらに、ガラスから樹脂にとって代わるようになり、ガラスアンプルの需要は下降をたどっていった。 しかしながら、ガラスは薬液の溶出が少なく、耐熱性に優れ、長期保存が可能であるため今後もなくなることはない。 樹脂は取扱いが便利である一方、滅菌は低温殺菌しかできないため時間がかかるというデメリットがある。 また、現在樹脂は多層のものが増え、製造コストが上がってきている。ガラスも樹脂も悩ましい課題を抱えている。

    ■医薬品業界について
    日本の医薬品業界は、欧米に比べて非常に遅れている。欧州、米国、日本は世界3大薬局法といわれているが、欧州と米国はガイドラインに対し、日本は法律で様々な制限・基準が設けられている。 さらに、各社で統一した基準がないため、海外の市場にでていきにくい状況を生んでいる。日本の医薬容器メーカーが発展しない理由がまさにこれである。 一方で、欧州の同業は世界進出を図り、2-3年先まで注文でいっぱいという話を聞く。特に開発途上国や、中国、ロシアからの注文が多いという。