大阪硝子産業史

株式会社奥村坩堝製造所 訪問報告書

    ー 取材を終えて ー
    ガラス産業の歴史を語る上では欠かせない「坩堝(るつぼ)」。大阪硝子工業会の会員からも、是非坩堝屋さんの話を聞きたいという意見があり実現いたしました。快く取材を引き受けていただいただけでなく、工場見学までさせていただきました。100年を超える歴史で受け継がれてきた職人技を目の前にし、職人さんの気迫に思わず息を飲むほどの緊張感の中、見入ってしましました。まさに、百聞は一見に如かずでした。


    ■奥村坩堝製造所について
    明治45年に大阪市東成区で創業し、現在も同じ場所で製造している。ガラス溶融用の坩堝、耐火物、セラミック溶射材の製造のほか、自社でガラス溶融を行い、ガラス製品の製造も行っている。創業以来一貫して坩堝製造を中心とした事業を行っているが、近年ではインドのホーローメーカーからも引き合いがあるなど、海外からも品質の高い奥村製の坩堝が注目されている。

    ■技術伝承と新たな試み
    小さい坩堝などはろくろを使って成型する。まさに職人技ともいえるこの技術は、日本では奥村坩堝だけとなった。また、ねこツボと言われる背が丸くなった形状の坩堝は、ツボの周りを職人が回って手で土を積んでいく。お客様の仕様にあったオーダーメーイドの坩堝は、寸分変わらず作る高度な技術が必要とされる。土を慣れるところから始まり、最低4~5年の経験を積まないと坩堝を作ることはできない。同じ条件でも安定しないこともあり、職人さんはまさに生き物を扱うかのごとく、日々土と向き合っているという。

    坩堝を使う小・中規模のガラスメーカーにとって奥村坩堝はなくてはならない存在であるが、決して驕ることはない。むしろ、「ご要望があれば何でも言ってきてほしい」という原社長。一緒になって良いツボをつくることが、日本に現存する数少ない坩堝メーカーの供給責任であり使命と感じているという。

    また、これまではいわゆるB to Bの事業がほとんどだったが、最近ではインド料理のナンを焼く家庭用(ポータブル)のタンドール窯も製造している。テレビ番組でも取り上げられ、タレントのタモリさんも愛用しているとのことで話題になった。100年を超える技術の蓄積から、こういった新たな派生商品も生まれている。

    ■魅力的な会社を目指して
    平成28年に現社長(6代目)の原英治氏が社長に就任すると、SNSの活用や様々な媒体からの取材も積極的に受けるようになった。取材を受けて直接売上げに影響することは少ない。ただ、従業員にとっては、メディアに取り上げられることで励みになり、興味を持って入社を希望してくることもあるという。この業界は「人」があってのこと。魅力的な会社にすることで、従業員が誇りを持って仕事に取り組むことにつながる。直接的な投資だけでなく、こういったメディアの活用も「人」を育てることに一翼を担っているという。

    ■大阪のガラス界ヘのメッセージ
    「ガラス業界がなくならないように、火を絶やさないように、協力できることは何でもする」という力強いメッセージをいただきました。