大阪硝子産業史

株式会社丸山工業所 訪問報告書

    ー 取材を終えて ー
    ガラスビンの需要は落ち込んではいますが、表面処理技術は多用途でニーズがあり、それにうまく応えて発展したのだなと感じました。 また、工場の入り口には、丸山工業所の発展の要でもある大規模な排水処理設備をみることができました。 製品や技術ばかりに目が行きがちですが、こういった後処理も含めて事業を考えることの大事さを学びました。


    ■丸山工業所の歴史~創業から2003年まで~
    1950年、大阪市旭区中宮で現社長の祖父である丸山松之介氏が丸山兄弟工業所創業。その後、1953年に、(株)丸山工業所に社名を変更した。創業者は、現在の東芝の下請け企業で、「マツダ」という白熱灯の灯りを柔らかくするための、電球の内面をフロストする技術を習得し、松下電器から白熱灯の内面フロスト加工を請け負っていたと伝えられている。今ほど寿命がなかった電球は、各家庭に必ず置いていた時代であった。その内面にフロスト加工をするのは難しく、高い技術を持っていた。注射器の目切りのフロスト加工の仕事もあったが、量産が見込まれる電球に特化していた。その後、照明器具から食器、ビンへとシフトしていった。

    1973年丸山慶一氏が社長になり、1980年には城東区新喜多に工場を移転させ、当時増えていた化粧ビンのフロストへとシフトしていった。そして、大手化粧品メーカー様から仕事を任され、2000年くらいまでは右肩上がりで需要があった。一方、1970年後半から酒ビンのフロストも始まった。1981年に特殊フロスト加工専門工場として、淀川工場を設立した後、1980年代後半に冷酒ブームが起こった。お中元やお歳暮といえば、プレミア感のあるフロストが施されたお酒が贈られることが多く、売り上げの7-8割を酒ビンが占めた時期もあった。 その後、平成に入ってからは、リキュールなどをはじめ、ブランデーブームが到来した。また、麦焼酎や本格米焼酎など、一品種で年間加工本数の10%程を占める大ロットが受注でき、酒瓶フロストが本格化した。

    さらに1988年にインプロ(インブリケイテッド・プロセス加工法)と呼ばれる「鱗模様」を形成する表面処理を開発した。このインプロは、高級酒や焼酎のニーズが増え、尼崎に工場を増設した。この年には、本社と生産設備を尼崎に集約させた。

    ■丸山工業所の歴史~2003年から現在~
    2003年、丸山起世志氏が社長に就任。2005年には、薬液を用いてスリミングするエッチング加工の量産を開始し、カバーガラスなどに使われている。2006年には、有機ELキャップガラスの溝を掘り込む加工を開始、量産体制も整えた。 また、2003年頃からAG(アンチグレア)と呼ばれる反射防止の表面処理の研究をスタートし、2013年からヨーロッパの高級車の車載用で採用、量産を始めた。大判のガラスを均一に処理するのは技術的に難易度が高く、他社も追随できていない。

    基盤技術のフロストにおいても、海外有名ブランドの香水のキャップという今までにない用途の加工も増えてきている。現在では、フロスト、エッチング、AG加工の基盤技術で、様々なニーズに応えている。

    ■排水処理
    フロスト加工はフッ酸などの薬品を使用するため、高度な排水処理が求められる。尼崎に工場を移転した当時は、市役所から毎月水質検査を求められ、8ppm以下という基準を満たしているか厳しいチェックをされた。設備にはコストがかかるが、排水を疎かにすると環境問題につながるだけでなく、フロストのイメージ自体も脅かされる。そのため、この排水処理には高い意識を持ち、現在では尼崎市から表彰を受けるようになった。