大阪硝子産業史

株式会社五鈴精工硝子 訪問報告書

    ー 取材を終えて ー
    硝子ボタンが時代を超え、電子機器に搭載されるガラスになり、五鈴精工硝子様の歴史の深さを感じました。 また、技術の積み重ねによって進化する特殊ガラスは無限の可能性があり、新しいマーケットの主役にもなり得るように思いました。


    ■(株)五鈴精工硝子の歴史
    1905年垂水硝子製造所として創業し、硝子ボタンの製造などをしていた。当時は軍服などに使用されていたといわれている。 戦時中は企業統合により日本硝子釦(株)となった。戦後は、硝子碁石の製造をはじめ、当時市場のほとんどを独占していた。 現在は、樹脂や石が主流だが、当時はガラスの碁石は普及品として碁会所などで使われていた。

    1954年には社名を五鈴精工硝子(株)に変更した。1961年には熱線吸収ガラスを開発し、手術室などで使われる無影灯に使われていた。 その後、YAGレーザー遮断用として使われ始め、YAGレーザー用のガラスとしては世界のトップシェアを争っている。

    1969年には非球面レンズを開発し、その後トロイダルレンズを開発した。トロイダルレンズはOHPに使用され、この頃から光学機器メーカーとの取引が始まった。 1993年には後述する一体型レンズアレイを開発し、液晶プロジェクターメーカーのほとんどに供給するなど主力の事業へと展開していった。 2007年にはプロジェクター事業の基幹工場として泉佐野にりんくう工場を竣工した。2015年に、株式会社五鈴精工硝子になり、西成にあった本社と工場をりんくう工場に集約させた。

    ■ターニングポイント~一体型レンズアレイの開発~
    五鈴精工硝子のターニングポイントとなったのが、1993年の一体型レンズアレイの開発である。 複数個のレンズを一体化したもので、液晶プロジェクター向けに開発された。 光源の前にこのレンズを置くことで、光源から出てくる光を均一にすることができ、スクリーンに映しだされたときにムラなくキレイに投射することができる。 従来は、1つ1つのレンズを張り合わせて1枚にしていたが、成型によって一体型にしたのが当時は画期的であった。液晶プロジェクターの黎明期からトップランナーとして業界を牽引した。

    その後、液晶プロジェクターと同じ方式で投影するリアプロジェクションテレビ(リアプロ)と呼ばれるテレビにも一体型レンズアレイが採用された。 当時は、液晶、プラズマとこのリアプロが薄型テレビの主流になりつつあった。2005年には売上げもピークに達し、事業を拡大していった。 2007年にはさらなる量産に対応すべく、現在の本社がある泉佐野のりんくう工場を竣工し、翌年から操業を始めた。 しかしながら、液晶テレビの低価格化に追随できず、リアプロの市場は大きく減少していった。現在は、露光装置、HUD、3Dプリンターなど新しいマーケットにも期待している。

    ■五鈴の強み
    五鈴精工硝子は、ガラスを組成から開発する溶融部門と、ガラスを金型で成形してレンズなどにする成型部門がある。 溶融部門では、ガラス自体に機能を持たせた特殊ガラスを開発している。多彩なラインナップがあり、1nmの波長単位でカスタマイズすることができる。 小ロット多品種を売りにし、機動性やリードタイムなど大手ではできない対応力に注力している。また、成型部門でも同様に従来成型では困難な形状に対応し、お客様の多様なニーズに小ロットから対応、量産している。

    ■今後の展開
    6年ほど前から、ガラスの組成開発の技術を活かして、リチウムイオンの負極材の開発をしている。 産業技術総合研究所との共同開発を行っている。 リチウムイオン電池は、価格や性能の向上が著しい業界でもあるため、電池メーカー自体も慎重ではあるが、全固体電池など特殊な電池に使用できればと期待している。 また、五鈴のもっている強みと、他社の機能を相互に補完して、コラボレーションするような事業もあり、新たな市場開拓にも力をいれている。