大阪硝子産業史

井原築炉工業株式会社 訪問報告書

    ー 取材を終えて ー
    設計やシミュレーションなど研究開発においては、先端的な機器などを使って行うことができますが、 それを形にするのは一人一人の職人であるということに改めて気づかされました。物心ついたころからエアコンで涼しい環境に慣れているような世代が、過酷な現場に飛び込むのは確かに大変だとは思います。しかしながら、この業界の空洞化を避けるためにも、人材育成は業界全体で取り組んでいくべき喫緊の課題だと感じました。


    ■井原築炉工業(株)の歴史
    明治25年、初代井原兵吉氏が井原組を創業。明治29年の大阪麦酒(現アサヒビール)吹田工場の製ビン工場建設から始まり、ガラス炉の築炉事業の基盤を築いた。その後、大手硝子メーカーの築炉も手掛けるようになった。昭和23年、井原築炉建設(株)を設立した。この昭和20年台から30年台は、築炉事業は右肩上がりの時代であった。

    昭和33年に井原巖氏が社長に就任し、大きな転換期を迎える。「これまでの煉瓦を積むだけの築炉では面白くない」とプラント事業へと展開していった。ガラス溶融炉の付帯設備を含めすべて(成型設備以外)携わるようになった。その後、近畿にある多くのガラス瓶メーカーのプラントも手掛けるようになった。昭和37年頃からは、横浜、九州、名古屋と営業所を開設し、業務を拡大していった。昭和42年、井原築炉工業(株)に社名を変更した。昭和62年からは、台湾、シンガポール、インドネシア、中国に支店及び子会社を設立。平成16年に井原眞一氏が社長に就任した後の平成19年にも韓国で現地法人を開設している。 平成20年、井原悦司氏が現社長に就任。平成26年に排ガス設備メーカーのナフコ(株)を子会社化するなど多様な展開を進めている。

    ■人材育成と技術の向上
    築炉作業は一人一人の職人の技術伝承にかかっており、一朝一夕では育たない。また、3K職場である上に人口の減少で人手不足になるという課題もある。しかしながら、井原築炉工業では、新卒者の継続的な採用と育成に取り組み、数多くの優秀な築炉工を抱える企業となった。また、築炉技能士という国家資格の制度構築にあたっては、大きく関わったという経緯もある。更に大卒・院卒者を積極的に採用し、エンジニアの育成にも力をいれている。 この人材への考え方は、職人とエンジニアが知恵を出し合い、設計の段階から炉の長寿命化を考えた補修のしやすい構造にするなど、メンテンナンス技術の向上にも繋がっている。どれほど技術が発達しても、最終的には職人の五感に頼るところが多く、経験や情報などフィードバックの積み重ねが常に大事だと考えている。

    ■海外展開
    井原悦司氏が現社長に就任した後は、海外への営業展開も積極的に行っている。ドイツ、上海、北京などの展示会に出展したことで、多くの海外企業に「IFC」を知ってもらう事ができたが、ヨーロッパの、特にドイツのエンジニアリング会社が東南アジアにまで進出している営業手法については見習うところも多いと考えている。近年ガラス炉の新設は減少してきたが、海外事業の比率が上がってきた事もあって、全体的に見ると売り上げは大きな影響なく推移している。

    ■今後の展開
    工業炉関連の事業は、世界的な環境規制の広がりが見込まれることから、排ガス処理設備などの比重が増すものと考えられるが、井原築炉工業の強みは何と言っても120年以上に亘り培ってきたガラス炉のエンジニアリング技術である。省エネ、高品質、長寿命を目標としたガラス炉の研究に、現在も力を入れており、近年その為の物理モデル実験や数値シミュレーションにも取り組んでいる。今後もガラス炉関連の仕事がコア事業であり続けることは間違いない。